三つ巴珍道中

恒例の様な腰痛のせいでレコ発には行けなかったのですが、昨日「三つ巴珍道中」のCDを手にしました。全体には軽快な曲が多いのですが、8曲目の「ハローアゲイン」はちょっと違って、マイナーでした。現実の生活感を伴う寂しさのある歌詞で、聴くほどに胸が篤くなりました。サビの部分

ドサ廻り 旅がらす 根無し草 風来坊
その次ぐらいにたしてもいいか
ぼくらの名前を
ぼくらの生き方を

いい曲ですが少し物寂しくて、少しうつむきで、ちょっと悲しくなりますが、実はそれほど悲観する事も無いと思います。

「人として、どうあるべきか」とか「価値ある人生とは」なんてのはナンセンスです。

「どの様に生きるのも自由」だし、「人生に価値が無くても」自分さえ納得できるならそれで良いと思います。思っていたほど人生は長くないので、疑問や嫌悪は時間の無駄です。 どうせ最後は死ぬのですから。

地上に裸で生まれ、僅かの時間を過ごし、ただ一人 何も持たずに死んでいく。陽炎の様な人生に定められた意味も価値も無いのだと思います。

不安定で拠りどころが無い、何一つ確かなものが無い。言い換えれば、それが自由です。自由とは何かを得る為にあるのでは無く「価値あるものを何も持たないこと」なのです。

何んにも持たずに生まれて、何んにも縛られずに生きて、何も持たずに死ぬ。当たり前の様ですが、これが意外に難しいと思います。

なんか年寄り臭くなりました。終わりにします。

20代、30代で新しい音楽を発見することの重要性…

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右京区西院春日通りを少し下がった、なだらかな坂道を少し南に行った辺りの。

10月のうす曇りの午後に、買い物帰りのおばちゃんが自転車で通りかかる。

彼はTESCOの小型アンプに腰をおろして、

おもむろにスローなブルースを弾き始める。

手慣れた演奏だが、誰かが聴いている訳でもない。

しばらく弾いてから、傍らのカンビールを一口飲むと、屋根に掛かった空を見ている。

今ここにいる事を確かめるように。何かを思いだした様に。

 

 

クラシック・スタイル

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最近の傾向ですが、従来のスタイリッシュなものからやや外れた、クラシカルなものが注目されています。どこかに古時計の様な懐かしさを感じる、クールではなくホットなスタイルです。

一見、スコットランド風ですが、クラシカルに見えるように色々工夫しています。

続・河井寬次郎のスリーピース

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「河井寬次郎のスリーピース」を実際に着用した姿です。全く違和感がなくクラシカルなスタイルが良く似合っていますが、顔出しでは無いので・・・。

女性の方もMAD-BIT制MOD’s仕様のダブルブレスト・ショート丈スーツです。各パーツは黒ベルベット、ボタンは紋章入りです。

 

2018/秋冬物展示会

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今回の展示会にはロンドンからの最新紳士服地サンプルを多数用意します。ヴィンテージに比べれば割高ですが、Savile Row Mayfair, London, UK 周辺のトレンドが分かるので、見るだけの価値はあると思います。

今季モッズの傾向はよりカジュアルでクラシカルにと考えています。また、1960年代スコットランド風も良いのではと思います。イメージは懐かしく古めかしいツィードのニッカーボッカースーツでしょうか。

もう一つはニューヨーク風スタイルの上質のカシミア昆・ハーフコート、写真のサンプルです。狭いVゾーンでルーズフィットのストレートライン。カジュアルなインナーが似合うと思います。

なにより、色々考えている時が一番楽しいですね。今回も何かサプライズを考えています。お楽しみに。

 

河井寬次郎のスリーピース

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お客様から「曾祖父である河井寬次郎のスリーピースを直せないか」とのご相談がありました。
柳宗悦、濱田庄司、バーナード・リーチらと日本の民藝運動を起こした陶芸家あの河井寬次郎の衣装ですから、遅くても昭和30年代のものでひどく傷んでいましたが、保存するだけの価値があるものと思い引き受けました。

穴アキや破れを塞いで芯地や裏地を変更、ボディーラインやダメージ感は残したまま、雰囲気を壊さないようにサイズとバランスを変更しました。この写真がその出来上がりで、ほぼ満足できるものになりました。

温かみを感じる昭和のレトロ感と、そこはかとなく河井寬次郎の存在感を感じます。

ブライアン・ジョーンズ様式

1960年当時と同じ生地、同じデザインのスーツが出来上がりました。初めて写真を見た当時、周辺に類似した服が全く無かったので、随分奇抜な印象を受けましたが、こうして出来上がると今も変わらず新鮮な印象を受けます。

ブライアン・ジョーンズは早逝で、写真は1960年代の初頭だと思いますがスコットランドの服地メーカーは60年前と同じ服地を今も作っています。なので次々と消費し尽くすだけの日本とは、一味違う本物が有ります。実のところ京都にもその様な本物が有るのですが、振り向かれる事が少ない様です。

次々と手を変え低コストの商品を押し出す日本型消費トレンドでは、チープな満足感は得られますが安心感は得られません。気が付けば我々を取り巻く環境そのものが、安価なニセモノで埋め尽くされています。将来ゴミにしかならない商品が本当に望まれているとは思えません。とやかく言えませんが、これは生活目標では無かったと思います。